歯に衣着せぬ文章を書きたいと思った話
歯に衣着せぬ文章を心がけたい。
なぜならこの心がけで、より自分の書きたい文章が書けると思うからだ。
自分が書きたくないのはこんな文章だ。
他人の期待に応えようとする、「どうあるべきか」という志向の文章である。
一方自分が書きたいのはこんな文章だ。
自分の考えを素直に伝えたり、自分自身の考えを深めるための文章。
つまり「どうありたいか」あるいは「現在どうあるか」という志向の文章である。
これに対し、「その志向では人に役立つ文章は書けない。人の役に立ってこそ文章には価値がある」と思う人もいるだろう。
自分も、誰かのためになる文章を書きたいと言う点には賛成だ。しかし自分は「どうありたいか」、「現在どうあるか」と言う志向で書いた文章でも必ず誰かのためになると思う。
なぜなら、自分は「過去の自分」を救う文章を書いているからである。そして、「過去の自分」と同じ悩みを持つ人は、自分以外にも沢山いると思う。よって自分が書いた文章は、「過去の自分」と同じような悩みを持った不特定多数の「誰か」に役立っている。
話は逸れるが、自分は読書が好きだ。
自分が本を読む目的の1つに、自分の文章の好みを確立させていくことがある。
どういうことかというと、上記でいうところの「どうありたいか」を見つけると言うことである。
また、「どうありたいか」が一度確立された後にも、読書を続けることは大切だと思う。
なぜなら、自分の思考のアップデートをやめたら、そこで成長が止まるからだ。
率直に自分の考えを文章にし、また今の考えに凝り固まらず、絶えず新しい考えを取り入れていきたい。