「CSS設計」って何?【web制作初心者の見解】
「CSS設計」とは?
例えると・・・
RPGの攻略本のようなもの。
なくてもクリア可能。
でも、あるとスマートにクリアできる。
例えばクリアに必要なアイテムを、前のステージのダンジョンまで取りに戻る、というようなことがなくなる。
どういうこと?
CSS設計とは、「CSSを最初から最後まで一貫したルールで書こう」という考え方です。
このCSS設計というルールを守ることで、2ついいことがあります。
1つ目は、「自分」がCSSを破綻させることを防げること。
最終ダンジョンで必要になるアイテムを途中の街で売ってしまう、ということが防げます。
2つ目は、「自分以外の人」がCSSを破綻させることを防げること。
RPGを複数人でプレイすることもあります。攻略本を共有すれば、自分以外の人が大事なアイテムを売ってしまうことを防げます。
web制作初心者の見解
上記のことから、CSS設計は
- 頭で把握しきれない規模のweb制作
- 複数人でのweb制作
において大きな効果を発揮するものだと思いました。
相手の顔を見て話すことの大切さ
相手の顔を見て話をすることは大切だと思う。
なぜなら、そっぽを向いて話をすることで、相手に不快感を与えるかもしれないからである。
現状の自分は、ふとした時に相手の顔を見ずに返事をすることがある。
返事に自信がない時にもやりがちである。
返事に自信がない時ほど、「わからない」という旨やその時伝えられることを、しっかりと、相手の目を見て伝えたい。
日常的な会話でこそ、コミュニケーションの基本を大切にしたい。
書く媒体は複数あるといいと思った話
頭を整理するために、文章を書くことがある。
書く媒体は複数あるといいと思った。
なぜなら、
- 媒体により考えの進み方が変わってくるから
- アウトプットする習慣が途切れにくいから
である。
自分が実践している実例を紹介しながら、上記を深掘りする。
自分は、ブログ、スマホのメモ、手書きのノートの3つの媒体を使っている。
それぞれに特徴がある。
ブログ
他人の目が入りうることが特徴。モヤモヤとした考えを、自分以外の人でも理解できるレベルまで具体化することができる。
スマホのメモ
気楽さが特徴。自分がわかればよく、手書きに比べて入力もサクサクである。また、場所を選ばない
使用例
気分が乗らない時に、とりあえず「だるい」「今日は無理そう」などと書いてみる。するとだんだん楽になってきたりする。文章の苦手意識のリハビリになる。
手書きのノート
→レイアウトの自由度の高さが特徴。図や記号も取り入れやすい。
使用例
アイデア出し、概念のビジュアル化など。時には枠線を引いてみたり、縦横の向きを変えてみたりする。
また、気楽に書ける度はスマホ、手書き、ブログの順に高い。
ブログや手書きノートを書く気にならない日は、スマホメモでとりあえず何か書いてみることにすれば、アウトプットの習慣が途切れにくい。
頭の整理のために文章を書く時には、媒体は複数あると便利である。
書くと考えが進むと思った話
自分はちょっと前から、習慣的に文章を書いている。
文章を書くと、考えが進んだり、まとまったりする。
なぜなら「文章を書く」ということは、頭の中にモヤモヤと渦巻く「~な感じ」を目に見えるように具体化したものだからである。
文章には2つの機能がある。
自分の考えを自分以外の人に伝える機能。
もう1つが、自分の考えをまとめるという機能である。
文章を書くというと、自分の中ですでに完成された考えを文字に起こす、ということをイメージすることもある。
しかし、自分でもよくわからない「頭の中のモヤモヤ」の正体を突き止めるために文章を書く、というのもアリなんじゃないかと思う。
書くと考えが進む。
勉強は日常を充実させる最高の趣味だと思った話
自分が考える、日常を充実させる要素は「没頭している時間」と「コントロール感」の2つである。
「没頭している時間」というのははそのままの意味。
「コントロール感」というのは、自分で考えて実行したことが上手くいった時の満足感のことを指す。
この2つを同時に得られるコンテンツがある。
勉強である。
勉強はコツを掴んでくると、かなり没頭できる。
また計画的に勉強に取り組むことで、コントロール感を感じることもできる。
さらに、勉強をするともう1ついいことがある。
知識が増えることである。知識が増えると、勉強以外のことをしている日常にもコントロール感を得られるようになる。
例えば英語を勉強することで、街中の英語の意味がわかるようになる。
化学を勉強することで、洗濯洗剤の裏側を見るのが楽しくなる。
勉強は日常を充実させる最高の趣味だなあ。
悔しさは行動に繋がると思った話
今日は、インド人とお話をする機会がありました。
しかし自分の英語力が足りず、まともに会話をすることができませんでした。
自分は大きな悔しさを感じながら、帰路につきました。
悔しさを感じる経験は辛いものですが、行動に繋げることができれば悔しさに価値を与えることができます。
例えば、自分は上記の経験から日常的に英語学習を取り入れる決心を得ました。
行動によってしか人生は変わりません。
そのためには自分はこれからも色々なことに挑戦して、たくさんの悔しさを感じていきたいです。